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あそこで見送った背中は、まるでいつも通りだった。

また明日と声をかけた、学生の頃のあの背中のように見えた。朝靄の中グラディオと走って消えていくのを、重たいまぶたをうすら開けて見送ったあの背中のようだった。しばらくしたら気だるそうな足取りで帰ってきて、疲れた。ねみぃ、と自分にもたれかかってくるような気がしていた。
あの日からずっと彼を追いかけていた。駆け寄って、背中を叩いて、名前を呼んで、声をかけて、顔を見て、笑いあって。何故自分は一人歩く彼をここから見送っているのだろう。

いつもの背中を見つける。少し寝癖の残った髪、怠そうな歩き方、何度も見たその姿を今更間違えることはない。小走りに近づき躊躇なく肩を叩く。
「おはよーっ」
「んあ、はよ」
「いつも通り眠そうですねえ」
「まーな」
ノクトえらそーっ!と大きな声で笑いながら、肩を並べて学校の玄関を通った。後ろから見ただけだと彼は特別に目立つわけではない外見なのに、人混みの中から一人をすぐに見つけてしまう自分に気が付いた。彼の方はよく「お前のチョコボヘッド見つけやすいわ」と笑っていたが。もしかしてだいぶストーカーじみてきているんじゃないかと考え始めたら自分のことながら不安になる。朝刊の見出しに国王のご学友がストーカーで逮捕、だなんて笑えない話ではないか。授業の合間にクラスの数人にそれとなく訊いた。友達を人混みですぐ見つけられるかと。答えはまちまちだったが、その会話を横から聞いて飛び込んできた女子は元気に「めっちゃわかるよー!」と言っていた。満面の笑みで彼女は、仕草や雰囲気で段々にわかるようになるものなのだと彼女の友達の特徴をつらつら並べつつ話していて、聞きつけたご本人に後ろから頭を叩かれていた。その友達の心底迷惑しているというような表情まで含めて、二人はとても楽しそうで、少し安心した。人混みから親友を見つけたときのあの何とも言えない高揚感はきっと、友達でも間違っていない感情だったのだと。

夕方、自習をしている生徒と、ベランダで外の部活動を眺めている生徒数名しか残っていない教室で彼は寝ている。けして長くないホームルームの途中から机に突っ伏していたのを、後方の席から見ていた。自分がクラスメートと雑談し、購買でふせんを買って、授業の質問をしに職員室へ行き、校舎のはずれの方にある自動販売機で飲み物を買って、やっと教室に戻ってきてもなおぐっすり寝ている。ある程度安全の確保された私立校とはいえ、一国の王子が公共の場でこんなに無防備で良いものなのだろうか。いつか寝てる間に襲われたりとかしないといいが、と余計なことを心配しつつ、前の席の椅子を引いて、背もたれの方を前にして座った。椅子を引いたときに結構な音がしたのに、その整った眉の一つも動かさない。夕方に強く西日が差し込むこの教室は、一年を通してこの時間、とても暖かい。とはいえ西日が直で当たる窓辺の席は冬でも暑いくらいなのに、自分が教室を出てから一度も起きた形跡すらなく気持ち良さそうにすやすやと眠る親友は本当に眠りの天才かもしれない。
やけに短い前髪を風がやさしく撫でていて、無意識に手が伸びた。イグニスにめっちゃ切られたわ、と女子のように口を尖らせて機嫌の悪そうだった先日を思い出す。前髪をひと束、根本から掴んで、すす、と引っ張る。外を眺めながらそれを繰り返していると、ん、と眠そうな声が手元から響いた。
「あ、ごめん起こした?」
「何してんの」
「ノクトってさー髪伸びるの意外と遅いよね、ムッツリ?」
「ハァ?」
自分の発言を聞いていたらしい女子が噴き出し、「それ、髪伸びるのが早い人がエロいって話じゃないのー?」と笑いながら、また明日ねと手を振り教室を出ていった。教室には自分たちだけが残されていた。ノクトが「ばっかじゃないのー?」とニヤついている声にムッとして、シワの寄ってる眉間を思い切り押してやった。いつもの放課後だ。

あ、という間抜けな声は彼の口に呑み込まれた。一番最初のキスだけがひどく優しくて、後はほとんど噛みつかれているようだった。追いつくのに必死で息が苦しい。合間に一瞬唇が離れる時、焦って思い切り息を吸い込んでキスしながらむせかえった。おえ、と舌を出すと懲りずにその舌に吸い付かれた。そのまま唇にまた噛み付いてくるので頬を掴むと、口を離してバツが悪そうに眉尻を下げてこちらを見つめてきた。
「ちょっとノクト、ほんとに初めて?」
そーだよあたりめーだろと頬を捕まれながらモゴモゴ言う姿がなんとなく粋がってる学生のようで、思わず怒っていたことも忘れ、へへ、ノクトかわいー、と尖っている唇に軽く口付けた。
何も言葉は無かった。後ろから抱きつかれて、荒い鼻息だけが耳元で聴こえる。「ちょっ、へんたい、っぽい…」と上がった息のまま笑うと、うっせ、とだけ小さな声が返ってくる。笑ったお返しと言わんばかりに耳に齧り付かれ、脳みそに直に水音を叩き込まれているようだった。びちゃびちゃと響く音以外聞こえなくなって、腰が無意識に逃げる。ああ、それ、やばい。逃げるなと言わんばかりに腰と根本を掴んで寄せ付けられ、びくりと身体が跳ねた。
押し広げて無理やり入ってくる熱いものを全身に感じる。異物感がものすごくて、う、と背中が反射で丸まる。「力、抜いて」という言葉に深呼吸をすると、少し違和感が和らいだような気がする。大きく息を吐いたところで少しずつ、ノクトが奥に進んでくる。ちょっとずつへんな気持ちになるのを自覚しながら、それを受け入れていく。全部入ったかと思ったが確認する余裕もなく、ぅ、と声を上げたところ更に一気に突かれた。まだ入るのか。
「ノクトのやっばいね、そんなだったっけ?」
額に汗の滲んだ笑顔でそう言うと、睨むような視線だけを返された。ぞくりと背中が粟立って、自分も少し息が上がるのを感じる。あ、気持ちいいかもしれない、霞がかかったようにはっきりしない意識の中でそう思ったのを最後に、記憶は途切れた。
ぐったり放心してほとんど寝かけていると「風呂入るか」と声がかかる。そういえば精液が中に残ったままだとお腹を下すって聞いた気がする。そんな、いつどこで仕入れたかも忘れてしまった話を思い出し、だるい身体を必死に起こした。「起きただけでやばい、力入んない、王子ィ〜」と呼ぶと、変な呼び方すんな!と珍しく大きな声で怒られた。
浴室で、力の入らないままのろのろと身体を擦った。残すは問題の中なのだが、どうすればいいのかわらない。そして異物が身体の奥に残っている感じがなんとも気持ち悪い。壁にもたれ掛かりブツブツつぶやきながら自身の後ろを弄っていると、ん、とだけ声を上げた彼がシャワーを差し出してきた。水が出しっぱなしで、思い切り顔にかかって吹き出した。もっと労れと怒ると、悪い、と笑いながら首元にキスをされた。そのまま身体を寄せてきて、身体中にやさしく口づけを落としながら身体を洗ってくれた。

気づくと自分の住む部屋の扉が目の前にあった。最近意味もなく物思いに耽ることが多い。目を覚ますつもりで首を振る。明かりを点けようといつもの通り壁のスイッチを入れると、部屋は暗いまま、窓から差し込む月明かりでほんのり足元が見渡せるだけだ。
「あれ?昨日まで点いてたのに、もー壊れちゃったのかなー。」
一人でつぶやきながらスマホのライトで床を照らそうと画面に触れた。
「え」
一瞬。撮った記憶の無い写真が画面にちらついたように見えた。そして、画面はそのまま消えた。その写真は湖畔に立つ見慣れた誰かの後ろ姿のようだった。少しの寒気と動揺を覚えながら再び画面を立ち上げようとボタンを押してみたが電池が切れたのか、画面は黒いままだった。こんな時に限って、とことん運のない日だ。そうしてふと、人の気配を感じた。見上げると、窓際に誰かが立っていた。
「ノクト?」
それは一番最後に見た姿の彼であった。戦いを終え擦り切れた背広に乱れた髪が光を透けて輝いていた。彼は背中を向けて、窓から夜景を見下ろしているようだ。名前を呼ぶ声には反応しない。
息を呑んだ。ありえない。亡霊かと思えば、巷の娯楽ビデオのように透けてなんていなくて、きっと触ればそこに肉があるようにハッキリとしていた。服は戦いで擦れてボロボロだった。居間の入り口に立ち尽くす自分と彼らしき誰かの間には随分な距離があって、ここから触れることはできない。目が離せないままスマホを知らないうちに手放して、床に散らばるゴミも蹴散らして窓へ向かう。ああ、なんで普段から掃除しておかなかったんだろう!
待ってよ、まって、と口からこぼしながら進む。広くないはずの部屋なのに、なかなか彼へ届かない。何かに足を取られ転けそうになり一瞬下を向く。視線を戻したときには、彼はもういなかった。部屋の電気はつかないまま、今夜も空には一点の曇りもなく、月が見える。

それから彼の姿を時折見かけるようになった。二度目はその一週間後の夜、仕事帰りにコンビニに立ち寄ったときだった。いつもは近所のスーパーに寄るのだがその日は遅くなり、コンビニで夜食を買おうと考えたのだった。酒のつまみにしかならないようなものばかりカゴに揃えてレジに向かう。世話焼きの友人が見たら速攻、大半を棚に戻されてしまっていたことだろう。ただ今は買うものに文句をつける人も居ないのでそのまま支払いを済ませる。財布をポケットに突っ込み、店員からレジ袋を受け取りながらコンビニの入り口へ視線を移したときだった。忘れるわけもない、あの頃自分がいつも遠くから眺めていた彼がいた。彼は今の自分と比べるととても小さくて、きっと小脇に抱えて攫ってしまえそうだと思った。あの頃の自分とはまるで大違いだ、あれだったら、今の自分でも手に余るだろう。その彼はまさにコンビニを小走りで出てゆくところだった。向かう先には薄ら青く光る犬のような動物が見えて、彼が時々話していた、彼にしか見えない守護獣なのだろうと思い出す。今なぜそれが自分にも見えているのかは検討もつかないが、それより彼が誰であれ、こんな遅い時間に小さなこどもがここにいていいはずがないとだけすぐに思い至った。道路沿いの小さな駐車場を出て行くのを目で追いながらすぐに駆け出す。ちょっと!と声をかけるが気づいていないのか振り向かず、角を曲がって視界から消えた。たどり着くとどこにも姿は見当たらず、静かな住宅街にいくら耳を澄ませても、風に揺れる葉のざわりとする音とビニール袋の耳障りな音しか聞こえなかった。
見る時々で彼の姿は違っていた。こちらが見えているのか、まるで戯れるように、頑なに後ろ姿しか見せないで消えていく。顔も見えない。声も聞こえない。本来関わってはいけない何かなのかと考えることもあるが(そういう話を人づてに聞いたことがあった)、ただ姿や仕草だけがあまりに記憶に残る彼のままで、目が離せなくなる。一度は彼を掴んだつもりで道行く知らない人の腕を掴んでしまい、しかもその後放心してしまい暫く手を放すことができずに危うく警察沙汰だった。一度は十字路で飛び出して自転車に轢かれた。脚を痛めたので、タルコットに車を借りて2週間通院をした。
そして、昔のことを夢に見た。高校を卒業して、車の免許を取ったばかりの自分が軽く事故を起こした時だった。練習にと、慣れもしない運転で一人きりででかけ、夜道で視界が悪くハンドル操作を誤った。他に人も巻き込まず大したことはなかったが、車が動かず頭と肩を車内で思い切り打ち困り果てた自分はイグニスに連絡をとったのだった。時間が遅かったのと、余計な心配を書けたくなくてイグニスだけに連絡をしたのにも関わらず、小一時間して現れた車からは自分の親友も降りてきたのだった。レッカーを待つ間、怪我の様子を訊いてくるイグニスの横で、彼は黙って周りの景色を見ていた。いざ帰るとなりイグニスの運転する車の後部座席に乗り込んでも、時々自分に視線を送る以外一言も口を開けること無く、眠いのか機嫌が悪いのか判断がつかなくてこちらからも声を掛けかねていると「なんで一人で行ったんだよ」と低い声が聞こえた。意図がわからず聞き返すと、だから、と頭を掻きながら先程より少し早口に、なぜ初めての運転で一人ででかけたのか、なぜイグニスやグラディオを連れて行かなかったのか、と。それを訊いていたイグニスが「初めての運転で、しかも夜に一人で出かけたことに関してはたしかに感心しないが、ノクトは自分を誘ってくれなかったことに拗ねているだけじゃないのか?」とすこし楽しそうに割って入った。それなのに俺達の名前のみ出すのは卑怯だ、とバックミラー越しにちらと彼を見て前に視線を戻した。思いもしなかった言葉に勢い良く右を向くと、思い切り機嫌を損ねた顔をして、あーねみぃとわざとらしく叫んで顔を背けてしまった。その肩を掴んで、ねえねえ本当に?誘ってほしかったの?一緒に行きたかった?えーうっそでしょ…。天邪鬼はとうとうこちらを振り向くことも反論することもなく、自分はしばらくにやけ顔が収まらなかった。
目を覚ますといつも通りの自分の部屋で、瑞々しさを失った手肌がそこにあった。忘れかけていた感覚が少しずつ戻っているのを感じた。

このままではおかしくなりそうだった。とはいえ話せる人物は思いつく限り二人だけである。皆もう、とうの昔に割り切ったことだ。今更彼のことを、と数日に渡って思慮した挙句に連絡を入れた。「相談したいことがある」とだけ送り、既読がつかないままの画面を眺めながら他に言い方があったんじゃないかと頭を抱える。半時間後「じゃあ飯でも食うか」というような返事がついた。彼なりに気を遣ってくれている気がして少し目頭がツンとする。ここ数日、頭痛がひどかった。
「お前どうした。なんかおかしくねえか」
居酒屋の個室に入り、いつも通り近況を軽く言い交わした後に突然歯に布着せぬ言葉が飛んできて少し面食らう。戸惑いながらも薄い笑顔を貼り付けてみた。
「はは、元からかも」
「早速だが、話せることなら話してくれ。無理強いはしないが」
向かいに座る二人に正面から目を見据えられると怖気づいてしまう。あれだけ長く一緒に旅をして、二人に話していないことなど最早無いような、家族のような仲なのに、すべてを見透かされるのが今は怖い。怖いもなにも、それを話しに来たのだけれど。テーブルに肘をついて、遊ばせている指を見つめながら言葉を探す。言葉を発しようと息をつく度に水を飲んでいたら2分と経たない内にコップが空になった。
「おい、とりあえず飲みモン頼ませてくれよ。喉乾いて仕方ねえ。あとつまみ」
「つまみだけでは良くないな、サラダ類も頼め」
「ハイハイ」
「プロンプトは何がいいんだ」
「あっ、えーと、カルーアミルク…」
「そこはとりあえずビールじゃねえのかよ」
体格の良い彼がいかにもな様子でガハハと口を開けて笑う。それに釣られてふと笑いがこぼれた。やっと笑ったな、と優しい声がした。飲み物と唐揚げとサラダがテーブルに揃い、じゃあ、とグラスを鳴らしたあとにやっと口を開くことができた。

ノクトがいるんだ。
いつも消えてしまうけど、夜にだけ。
見えるんだ。はっきりと。
いつも違う姿で、小さかったり、大きかったり。
でも、顔は見えない。いつも背中だけ見せて消えるんだ。
おれ、おかしいのかな。

二人は揃って驚いたような顔をして一瞬手を止めた。そして、イグニスが「なるほど」と小さくこぼす。タルコットから彼の元に連絡が来ていたのだそうだ。
プロンプトがここ数週間ほんとに変なんです。どこがって言われたら困るんですが、喋り方がどこか虚ろというか、時々何処かをぼうっと見つめているときがあるんです。疲れてるだけかもしれないんですけど心配で。本人に訊いても大丈夫しか言わないのはわかってるんです。何か知りませんか。
「彼も相当心配していた。俺も気にはしていたが、最近顔も合わせていなかったし、個人的な悩みもあるだろうと思って控えていたんだが、そうか…。」

夜中に一度目が覚めて、そのまま布団の中で微睡んでいると、犬の吠える声が聞こえた。外からだろうか。ひどく凍えたあの日にも聴いた懐かしい声だった。声の方を目指しベランダへ続く窓を開けると、白い犬と黒い犬が行儀よく座っていた。プライナは懐っこく尻尾を激しく振ってこちらを見つめていた。アンブラが近づいてきて、その首元に一冊の本が括り付けられているのをみて息を飲んだ。音が外へ聞こえるのではないかと思うくらい動悸が激しくなり、胸に手を当てて抑えた。彼がよくそうしていたように、片方の手でそれを受取り、アンブラを見つめた。
「開けていいの」
酷く掠れてほとんど聞き取れないような音が口から漏れた。口の中は乾ききっていた。震える手でひとつ表紙をめくる。当たり前だが、今までその日記を見たことはなかった。人の交換日記を見るような趣味は無かったが、今ばかりは見ろといわれているような気がして、ゆっくりと目を通しながらページをめくると、会話が理解できないほどに文字が並べ替えられていた。覗き見をしなかった安心と、二人の対話を垣間見たかった残念な気持ちとで複雑になりながらページを捲る手をとめた。これを読まされている真意を分かり兼ねていると、風かそれともなにかの魔法がそうしたかのように、随分前のページが開かれる。そのページには、写真と、「友達ができた。」と一言だけ。他のページに行儀よく並ぶ整った文字と似ているのに、そのページのたった6文字がどこか少し小さくていびつで、恥ずかしげに小さな声で目をそらしながら伝えるその姿が目に浮かぶようで、口元が緩んで、ふへ、と変な声が出た。そして、そのついでに別のいらない場所まで緩んでしまったようだ。汚したくなかったのに、そのページに思い切り大きな水のしみができる。あ、やばい、と思っても止まらなくて、日記を身体から離す前にもう2つ余計にしみを作ってしまった。ノクトに会いたい。見て思ったのはそれだけだった。

イグニスとグラディオに打ち明けたあの日。食事が落ち着き酒が回ってちらほらと思い出話に花を咲かせていた。そしてふと、イグニスが「俺はノクトを愛していた。」とこぼした。しばらく誰も口を開かなかったが、数分たったころ、癪にさわるところはたくさんあったが、と前置きをして「まあ、そうだな。俺もまあ、愛してたよ。」とビールをぐいと飲みながらグラディオが言った。しかし生意気だったな、など一人で続けている顔が、珍しく少し赤かった。そんな二人の告白に自分はそこで何を言ったら正しいのかが全くわからなくなってしまって、目の前のグラスにまだ半分ほど注がれた甘ったるい酒を見つめながら「そっか」と小さな声で笑うことしかできずにいた。イグニスが「とはいえ、少し甘やかしすぎた自覚はある」と少し言い訳じみた言葉を続けたのがなんだか可笑しかった。

久しぶりに朝早く目が覚めて、城へ足を運んだ。首から提げた愛用のカメラを握りしめて。一人でここにくるのは初めてだった。あの日ここを離れてから、ここに立つことがどうしてもできなくて、だのに遠く離れることもできず見えないふりをしていた。ノクトが守り、去った場所。吐き気がした。また別れを告げられているようで。もうここにない人を思い起こさせるようで。旅立ちのあの日が鮮明に蘇る。陛下に謁見し、自分はぎこちないお辞儀をして、三人の背中を追いかけた。それまでも四人で会ったことなんて何度もあったのに、そこで初めて本当に三人の仲間になれたような気がして、ノクトと旅ができることが舞い上がるくらい嬉しくて、ルナフレーナ様にあの手紙をもらった時のことをどう伝えようか浮足立って、プライナをまた撫で回すのが楽しみで、叫び出したいくらいだったのだ。感動で泣きたいくらいだったのだ。
城を真下から見上げると、光の眩しさに目を細めた。目を細めたせいで、視界が急に滲む。青い花びらが舞うのを見た気がした。久しぶりに、親友が名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。
「なんだ来ていたのか。」
声の方向を見ると、二人の友人がこちらに向かってくるのが見え、はっとした。忘れたわけではなかったが、彼らは毎日ここへ来ている。毎日毎日、親友が築き上げたものに向かい合っているのだ。愛していると口にした彼らは、彼が託したものを守るために日々奔走している。乾かそうと見開いた目から、叶わずに涙が零れ落ちた。国外からの観光客も多いこの場所で、髭を生やしたアラサーのいい大人が泣いてる姿はさぞ滑稽であろう。代わりに、ギョッとした顔を隠さずに近づいてきた二人の友人の名前を震えた声で、しゃくり上げながら叫んでやった。こうなったら道連れだ。
「ごめん、俺、二人が辛いことだって知ってたのに、俺さ」
オイこんなとこで、と慌てるグラディオの横で、イグニスが柔らかく微笑む。
「いいんだ。俺はあの日恥ずかしながら充分に泣いたし、グラディオももとより覚悟はできていた。でも、お前はそうじゃなかっただろう。」
泣く暇もなかったんだ、せめてあいつにもよく見える場所で泣いてやれ。相も変わらず優しいその声に、嗚咽は止まるはずがなかった。
愛していた。世界中の誰よりも。
家族のいない寂しい世界で初めて愛をくれたのはノクトだった。他のものを愛するきっかけをくれたのはノクトだった。愛して良いのだと心を軽くしてくれたのがノクトだった。みんな等しく大切である中で、一番手放したくなかった幸せはノクトだった。
上がっていい?と訊くと、当たり前だろうと返ってきた。久しぶりに、石段を登り扉をくぐる。
異常に静かなエントランスから、奥のエレベーターへ向かう。あの日の俺は、国王陛下に会うことに緊張していてずっと喋り通しだった。グラディオが扉を開け、最上階のボタンを押す。今は一言も喋らずに、ただカメラを握りしめる。チン、とベルの音がして扉が開いた。廊下に出て、光の差す方を見る。ガラス張りの部屋から、インソムニアの街が一望できた。一度だけ、学生の頃ここへ来たことがあった。空にいつも光っていた魔法障壁は、今はもう見えない。もうこの国を脅かすものはきっとない。ノクトが作った平和の証だ。

―いろいろキリついたら、生まれとか関係ねえ国にしようぜ。 めんどくせえし。変えようぜ、お前も一緒にさ
―うん。
あの日ノクトから告げられた決意は、自分にとってありえないくらい最高の告白のようだった。だるい、めんどくさいが口癖の親友は、きっと誰より恥ずかしがり屋で、誰よりも仲間想いの努力家だった。ここ数日泣きっぱなしだと思いながらも、どうしても涙が止まらなかった。人生で一つだけわがままを言うのなら、もう一度ノクトに会いたかった。
彼が愛して守り抜いたこの世界を、この国を、彼らを、自分を、いつかまた会えるその日に胸を張って語れるように後世へ残していこうと、続く青空を眺めながら改めて誓った。