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暗い海底に佇む街。遠い昔に消えた、旧い街。まだ昨日のことのように思い出せるこの場所は、あの時と違いいつまで経っても夜のように沈んだままで、厭になる、と無意識のうちに呟いた。
自分が作り出した箱庭の、誰も彼も代わり映えのしないローブ姿が行き来し、あちこちで言葉をかわすのを眺めている。みな、少なくともここにいるような連中は、詮無く議論を交わすのが好きだった。どれだけ多くの人の歴史を目にしてきたところで、これほどに勤勉で、これほどにおだやかで、これほどに焦がれる場所は終ぞなかった。いまを生きるできそこないたちに失望し続け、残念だと口にしながら、それこそが当然なのだという確信を、真なる人々を取り戻す切望を強くしていった。
道征く彼らに、これが過日だという意識はない。そのように作り上げたのは私だ。これは私の、在りし日の記憶である。そろそろ災厄が近いている。しかし自分たちはいつも通りに、想定した最悪の自体に、静かな焦燥を仮面の下にできるだけ隠して、その日を待った。地表に降りて、今の自分の姿の何倍も大きな人々が行き交うのを眺める。
ああ、あの頃の自分が見たらきっと私は矮小な子供のような姿なのに、まるで歳をとってしまった。あの頃の自分に言えば「くだらない」と一蹴されてしまうような、取るに足らない歳月の感覚。この身体がそう感じさせるのか、ここに写した記憶たちがそう思わせるのかはわからない。
ふと、視線を感じて顔をあげると、一人の誰かと目が合った。これは記憶の日の繰り返しにすぎない。とはいえ、干渉は可能だ。ここにいる彼らは過去の彼らのまま、その意志で見聞きし、考えている。こちらから話しかけることもできれば、逆に彼らからこちらに言葉を与えることもできる。意思疎通には一切の問題がない。そしてそれは、これから来るであろう、英雄様のために。
目のあった一人は、少しして顔を反らし、またどこかへ向かって歩き出した。大方、周りとは様子の違う自分が視界に入り気が逸れたのだろう。過去の日を思い出しながら創り上げた彼らに、すこしばかり気配に敏いものが混ざっていてもおかしくはない。ひとがイデアを使うことは得てしてそういうものだ。不確定要素はつきもの。特に気にも止めずに、再び深い思考へと沈んでいった。英雄は、まだ来ない。

また、目が合った。先日と同じものかはわからなかった。ここにいる真なる人々の影からは、当時以上に特徴を取り去っている。英雄様に見せるためだけのレプリカに、個性はいらない。そうして仲間のひとりひとりの特徴を見せつけてやる義理もなければ、そんな野暮なことをするつもりも無い。彼らは只、人の影としてそこにいる。天災のほんの一瞬で失われてしまったかつてのアーモロートに、我らがいたことを示すために。それに、個々をいちいち変えるのは余計な力を使う。目的に合わせて、できるだけ省エネルギーで行くのが効率が良い、そんなのは、誰に訊かなくても行き着く詰まらなくも正しい答えだ。だからこそ、目が合ったのは誰なのかも、それが先日と同じものなのかもわからなかった。
かつての知人を思い出す。恒久のときを可能な限り穏やかに過ごしたいと切に願う私は、なんの因果かそれを許さない人間に寄り付かれることがままあった。とくに彼は、私のことをよき友人だと呼んだ。人好きのする愛想なんて持ち合わせていない私が、彼の誘いをにべもなく跳ね除けるのを意にも介さず、彼の目に私が写るたび、やれなにをしている、やれそういえばあの子が、といちいち声をかけてくるような物好き。人の発言の真意を突いてはからかい、よく笑っている奴だった。そして彼は、そうしたふざけた言動行動でそれを隠すように、他のものより聡明であった。
彼はあの日、いくつかの急を要する議会に奔走する合間の私を、いつも以上の強引さで引き止めて、わざわざ仮面を外して言った。「きみたちを信じている」と。そして大きく笑い、初めて、私の手を握り、抱きしめて、また、と次を約束して去った。その後の委員会で、ゾディアークに身を捧げるものとして名乗りを上げた中に、彼の名が連ねられてるのを見た。その時に自分がどんな感情を抱いたかは、忘れてしまった。同朋のために身を差し出すことを引き止める理由も、そんな時間も、わたしたちの間には無かった。

少しの間、街を眺めることはせずにいた。代わりに内側に籠もり、また一つ再現を創り出す。これもまた、彼の人へのお膳立て。外にある穏やかな再現の、明日。我々の生きた場所が失われる、暗くて熱いその日。いつも静かな彼らが、星降る空に惑い、街角で異形に倒れる炎獄の光景。あの日から目に焼き付いて離れない人を、異形を、崩れ落ちた街のひとかどをこの手で作り上げながら、趣味が悪いな、と独り言ち、ここを歩くはずの人を想って、面白くない心地でいる。
私は果たして、本当に期待をしていたのだろうか。彼がもしかしたら、この第一世界に光をもたらすものになることを?それとも、彼が光を跳ね除けることを?なんにせよ、光に飲まれる彼の者を目の当たりにして、ああ、また、と目を伏せ怒りを抑えたのは事実だった。
きっと、少しばかりイレギュラーが起こり続ける人だったから、勘違いをした。きっと、立ち上がり続けるのは彼の中の強さだと見誤った。そこに誰かを見つけたような気がして、小さく弱くなったそれに同情し、彼ならばと。…彼ならば、なんだ?
余計な思考を振り払うように首を振り、また一つ、忌々しい顔の異形を作り出す。我らが同朋は、これを見たら笑うだろうか。実のところ、天からの異形はこんなにも歪んだ顔ではなかったと、記憶の捻れを戒めるだろうか。それでも今は、私がやるしか道は無い。次の一手は示した。仲間に誓った役目は、最後までやり遂げる。

「やあ」
凡庸な声が耳に届く。できそこないの身体に付いた耳で聞く彼らの声には、個々の特徴すら無いように聞こえた。これが先日、目が合った誰かであろうと思う。三度目の偶然は、流石に偶然足り得ない。
今日は朝から、付近のオンド族が何やら騒がしくしていたから、やっと、英雄が近付いてきていることを悟った。目の前のローブの誰かは、手を挙げて挨拶したあと、英雄の末期を夢想する自分の横に腰を下ろした。何も言わない。彼はただ、硬くて冷たい長椅子から、行き交う人を眺めるだけだ。居心地が悪くなり立ち上がると、「おや、行ってしまうのかい」と再び声をかけられる。ただ座りに来ただけでは無いらしい。
「悪いが用事がある」
「そんなふうには見えなかったけどね、急ぎなのかい」
咄嗟の詭弁なのだから、実のところ急ぎでもなければ、要事ですらない。もちろん英雄が来るのに備えて少しのやることが残ってはいる。しかし彼らは迫って来てはいるが、まだここに来る気配もない。
「何の答弁をしたいんだ。災厄についてか、それとも最近の委員会のことについてか」
ここでどうしてもの急用だと否定しても見透かされる予感がして、ふたたび腰を下ろす。昔の同朋と言葉を交わすのも悪くないかもしれない、という考えもあった。それがたとえ、自分の作った幻想だとしても。こちらの言葉に彼は、ふ、ふふふ、と抑えたように笑った。その笑い方に、なんだか見覚えがあるような気がした。
「キミを見つけたから来ただけだよ、なんだか物思いに耽ていたようだから」
「おまえ、」
彼は、子供を諭すように、指を口の前に立てた。見えないはずの口元が弧を描き、ひさしぶり、と音もなく動いたように錯覚する。彼は、そのまま会話を続けたいようだった。
「きみ、何をしていたの」
「お前がすでに言ったろう、物思いに耽るのが悪いかね」
「素敵なことだよ、ここは、きれいだしね」
彼は、空を見渡すように仰いだ。そこに空はなく、海の深い青と、遥か遠くからわずかに届く光が、月光のように柔らかく水を照らしていた。時折、海底を好む生き物が鳥のようにそこを飛んで、大きな影を落とす。まわりの音は水に呑まれ、いやに静かだった。
「こんなふうになるんだね、水の下に入ったことは無かったから」
きれいだなあ。抑揚無く繰り返すその声が、どこか楽しそうに聞こえる。彼らには、あの日のうつくしい空が見えているはずだった。ここが水の遥か底であることに気付いているのは、この街では私だけのはずだった。
「見えるのか、お前」
「視るのはちょっと得意なんだ、もっとも、キミも知っていたでしょう」
そうかもしれない。記憶の中の友人は、私以上に小さなことにもよく気がついて、それをいちいち面白がる奴だった。気付かなくて良いことにまで気がついて、見ないふりをする私の腕を引いて渦中に飛び込むような奴だった。もうひとり無鉄砲な友人を大層気に入って、あれと結託するのが好きで、寛厚であるはずの人々を慌てさせるようなことをして、言葉を失うほど呆れることも少なくなかった。私が委員会に入ってから、その子供のように至って純真な火遊びの尻拭いをさせられたことも、両手じゃ数えるのに足りないくらいある。
「キミ、自分で言うほど薄情な奴じゃあ無いのに」
肩をすくめるだけで返事をした私に、また彼が笑った。特徴のないはずの声に、彼の本来の声が聞こえるような気すらしてきた。少し高くて、鼻にかかっているようなのに、まっすぐに聞こえる軽やかな声。実体のないはずの手が、少し汗ばんできたように感じた。彼がここにいる目的は、まだわからない。
口を開こうか考え倦ねていると、彼はおもむろに立ち上がって言った。
「さあ、もう行かないと、大事な用に遅れてしまうから」
あの日の繰り返しだ。そう思った。そう仕向けたのは、自分だ。でも、これはなにかが違う。あの日の私は委員会の仕事にかかりきりで、彼と会うことはなかった。
彼は私に向き直ると、かつての別の日と同じように、あの時より遥かに小さな友人の身体を包むように抱きしめた。
「本当に、ワタシは大好きな友人をひと目見に来ただけだよ、ハーデス」
そして偉大なるエメトセルク、君のやりたいことが、きっとうまく行きますように。小さすぎる手を握れない彼は、私の身体にそっと手を添えてつぶやいて、背を向けた。振り返らずに街の向こうに消えていく。彼がこれから目指す場所は知っている。視線の先で、何人か同じ所を目指す人が、彼の後ろに続いて行くのを見た。
私は変わらず長椅子に座ったまま、明日のことを、考えた。

彼に再び相見えることは無かった。
まもなくして海の底を訪れた光の戦士は、この街の終わりを見届けて、私を退けて、分かたれたままの未来を進んでいく。
この意識がこのまま星界に戻るのか、未練がましくこの世を彷徨うのか、冥界に愛された私でも判らない。けれどきっと、彼ならば、